上海通信NO.8 春の雲南大旅行(2)

      
                                               白蘭花

 (^_-)丿世界遺産の街−麗江

 大理から約130kmの雲南高原の山道をくねくねと車は進みます。段々畑にはそら豆等の野菜が植えられています。菜の花も咲いています。辺り一面の菜の花畑を見るには、少し季節が早かったようですが、それでも野菜の緑と菜の花の黄色、そして赤い大地のコントラストの美しさは溜息が出る程です。また到る所うず高く藁が積んであります。煮炊き用のようです。手の込んだ刺繍を施した負ぶい紐で子供を背負った男性が自転車を押して登っています。

 麗江は人口約106万人。半数以上はナシ族やイ族、ミャオ族等、21種の少数民族です。ナシ族の胖金妹(お嬢さんの呼称、若い男性は胖金哥)が出迎えてくれました。まず夕食へ。海抜が2300mなので、お湯が80度で沸騰するそうです。その為、ごはんが美味しくないと云われましたが、確かに芯こそ無いもののボソボソしています。翌日、主峰の扇子陟は5596mある人類未踏の玉龍雪山中腹の雲杉坪へ。途中、ナシ族トンパ文化の源、玉水寨に寄りました。ナシ族は元々この一帯に住んでいましたが、木も育ち難い荒地なので、徐々に南下して現在の古城の地に到ったそうです。海抜3205mの雲杉坪へは麓からリフトに乗って行きます。雲杉坪には、今はもう保護動物となったレッサーパンダを帽子にして被っているイ族がいました。海抜が高いせいでしょう、後頭部が痛み出しました。

 世界遺産に指定された麗江古城へ向います。麗江は1996年の大地震により44億元の損害を受けました。全国また海外から100億元の支援を受け街を再建。更に残った支援金を観光業に投入し大々的に開発。それ迄は誰も知らなかった小さな街が、1999年からは毎年150万人の観光客が訪れ、11億元の収入を得るようになったそうです。くすんだ黒瓦に木の壁が重なり続く古城は数時間では見尽くす事は出来ません。民族衣裳、銀細工、ろうけつ染等の民族色豊かな土産店が数多く立ち並んでいます。

 メインストリートから外れると、細い石畳の続く静かな路地でした。2、3軒、とても小さな宿屋がありました。入口から木や草花が植えられた中庭が見えます。カラッとした南国の雰囲気を併せ持つ麗江独特の古城の雰囲気です。夕食の前に古城のお茶屋さんでお茶を戴きました。水路が流れる通りの両側にはレストラン、バー、お茶屋がひしめき合って並んでいます。その中の一軒です。水路に渡してある木の板を渡って入ります。太めの胖金妹がお茶をいれてくれました。ナシ族は太って色の黒い人が美人だそうです。



 (^_-)丿象と孔雀がシンボル−シーサンパンナ


 大理、麗江と案内してくれた運転手に別れを告げ、飛行機でシーサンパンナダイ族自治州の景洪へ。55分で着きました。南国です。人口約100万人の景洪は3分の1がダイ族です。その外、ハニ族、ジノ族等、12種の少数民族がいます。街路樹は椰子の木やブーゲンビリアです。人や車が少ないからでしょうか・・・ゆったりとした眠くなるような時間の流れを感じます。此処ではダイ族の哨〓(口へんに多)哩(シャオドリー−お嬢さんの意)がガイドで、猫〓(口へんに多)哩(マオドリー−若い男性)が運転手です。ホテルで半袖に着替え薄い上着を羽織ります。昼食の後、街外れを流れるメコン川の上流である瀾滄江を渡り、原始森林公園へ。真っ直ぐの大木は頭上のはるか彼方に伸びています。熱帯特有の植物が見られます。せせらぎが流れる中、森林を歩いていると、ふと日本の山を歩いているような気持ちになりました。夕食後、景洪の街を散歩しました。銀行や貴金属以外の商店や食堂には、ほとんど扉がありません。戸締りはシャッターのみです。年平均気温が21度と暑いからでしょうか・・・。

 7日。今日からT大姐のご主人も合流しました。パイナップルやマンゴー、スイカ等の畑やゴム林を眺めながら40分程、車に揺られ橄欖〓(土へんに霸)の朝市へ。車を降りるといきなり橄欖(オリーブ)の実で作ったネックレスを首に掛けられました。ガイドの「シャオドリ」らのプレゼントです。朝市では、ダイ族がお手製のバナナの葉で包んだ外郎のような物や鶏の蒸し物、魚の開きのハーブ焼き、新鮮なパイナップルや干したパイナップル等を売っていました。「外郎」と干しパイナップルを食べましたが、なかなかの味でした。更に1時間程、車に揺られ熱帯植物園へ。珍しい木ばかりです。長いソーセージのような実がぶら下がっている木は"〓(月へんに昔)腸樹"と云い、タイの国木だそうです。香港特別行政区の旗に描かれている"紫荊花"やラオスの国花"純葉鶏蛋花"もありました。虫刺されや肩こり、風邪等に効く万能薬の"風油精"の材料になる花"紅千層"。実が香水や石鹸、洗剤の材料になる木"依蘭香"等など。植物好きにはとても楽しいひと時です。

 午後は楽しみにしていたダイ族の村へ行きます。ガイドの「シャオドリ」が云うにはダイ族の男性は5、6歳で出家するそうです。普通2、3年で還俗しますが、20歳迄続けると1人前の僧侶になれるそうです。またダイ文字は男性のみに伝えられ女性は教えて貰えないそうです。さて、くねくねと山道を行きます。途中、道路脇の食堂で昼食を戴きました。大理、麗江、景洪とずっと昼も夜も"〓(月へんに昔)肉"(塩漬干し豚肉)と豆の炒め物や豚肉とじゃが芋の煮物、青菜の炒め物等の料理5、6品と大根スープにボールや桶に山と盛られたご飯だったので、此処の燻製にした豚肉の料理、"竜爪菜"(わらび)や"鉄菜"(れんげ)の炒め物、そして南瓜の花と葉の炒め物等、どれも美味しく、食が進みました。魚の蒸し物も臭みも無く美味しい物でした。ご飯はやはり洗面器に山と盛られていました。此処は食堂といっても屋根があるだけなので、殆ど自然の樹木に囲まれて食べているようでした。


 最も古いダイ族の村の一軒のお宅を訪門しました。藁葺き屋根の高床式の木の家です。階段を上がると涼んだり作業ができるスペースがあり、屋内への扉があります。靴を脱ぎ中へ入ると二つの寝室と家族が集う広い居間に区切られています。訪問する前にも注意を受けていましたが、ダイ族の寝室を覗いたら3年間、その家で苦役を強いられるそうです。

 眼鏡をかけている人は教養があると見なされ、半分の1年半で許されますが、もし伊達眼鏡をかけて騙したら、更に3年加算され6年間奉仕しなければならないそうです。まだ18歳にもなっていない哨〓(口へんに多)哩が接待し、父親が作った銀細工の品を見せてくれました。此処のダイ族は主に手作りの銀細工や機織、観光業、米やパイナップル等の果物栽培等で生計を立てているようです。
 
 ダイ族の村はテーマパークのようになっています。民族舞踊が観られる劇場やダイ族の伝統的な新年(西暦では4月中旬)の行事である水かけ祭をアトラクションとして見せてくれる広場もあります。水かけ祭といえばタイにもありますが、タイ人は遡ればダイ族と同じ祖先をもつそうです。この日は肌寒かったので観光客の参加者はさすがに少ないです。にもかかわらず見せてくれました。勇壮な太鼓と鐘の音に合せて、びしょ濡れになる迄、水をかけ合います。アトラクションが終わったら皆、急ぎ着替えに自宅へ帰っていました。そして景洪へ戻っての夕食は、水上レストランでショーを見ながらのダイ族料理でした。細かく刻んだ野菜と鶏肉をバナナの葉に包んで蒸した物、豚の皮の料理、パイナップルおこわ等のシーサンパンナならではの料理を戴きました。朝市で見た外郎や開いた魚の串焼き、そして昆明で戴いた"米線"もありました。冷たい米線は細く暖かい米線は太い麺でした。

 次の日、T大姐夫妻は1人200元で、日帰りでミャンマーへ観光に。国境近くでは首と耳たぶが長い少数民族の生活を見学、そしてミャンマーでは"人妖"(ニューハーフ)のショーを楽しんだとの事。私達は、まずホテルに接する民族風情園を観に行きました。ちょうど"3・8婦女節"(1904年3月8日ニューヨークの女性労働者達が女性参政権の運動を起こす。それを記念し1910年国際社会主義者会議で国際婦人デーとする事を決定)だったので、村から特別に休みを貰ったのでしょう、綺麗に着飾った少数民族の婦人達も観光に来ていました。少数民族が少数民族を見に来ています。面白い光景でした。そしてタクシーに乗り瀾滄江を眺めに行きました。小さな街なのでタクシーは市内だったら大体どこでも5元だそうです。瀾滄江は乾季の時期(10〜5月、雨季は6〜9月)なので、水は少なく河川敷が多く見えています。若者達がピクニックでしょうか、飲食物を持って河川敷へ向っています。土手には屋台も出ています。長閑なホッとする光景が広がっています。帰りはぶらりぶらりと歩いて繁華街へ。大勢ミャンマーから仕事に来ていると聞きましたが、確かに翡翠、玉の店の主人らしき人は、殆どミャンマー人でした。大理しか行った事がないガイドの「シャオドリ」もミャンマーへはよく出掛けるそうです。

 シーサンパンナには花の料理があると来る前に聞いていたので、ホテルで昼食の時、尋ねると1種類だったら手に入るかもしれないと言います。夕食を楽しみにしていましたが、残念ながら駄目でした。やはり花の季節の7、8月にならないと食べられないそうです。夕食後、T大姐夫妻と一緒に曼聴公園へ少数民族のショーを観に出掛けました。民族色豊かなショーの後、広場でかがり火を囲んで踊ります。観客も参加します。最後に紙の灯篭を公園の池に浮かべておしまいです。昨晩の夕食の時のショーでも感じましたが、ダイ族は観客を楽しませるのが上手です。

 9日、三岔河自然保護区の野像谷へ。景洪から47kmです。昆明へ続く山道を行きます。今、昆明への高速道路を建設中なので到る所、砂埃に見舞われる悪路です。野像谷では中国で最後に少数民族として認定された狩人ジノ族の力強く勇ましい太鼓と踊りの歓迎を受けました。そして野生の象を見るために、延々と長いロープウェイで、象が住む森林の上を上って行きます。残念ながら上から象を眺める事はできませんでした。帰りは自分の足で下ります。途中、象の足跡やフンを発見しましたが、やはり象には会えませんでした。同じく観光に来ている少数民族のグループが、山道の脇で肉がのったおこわのおむすびを頬張っている場面に出くわしました。私達も昼食を済ませて、象のアトラクションを見学。そして愈々上海へ戻るため空港へ向います。

 「シャオドリ」、「マオドリ」とお別れです。手続きまで少し時間があったので、空港横の果物屋でスイカを食べました。木陰の椅子に座っていると景洪に着いた時と同じ感覚を抱きました。なんだか時間と空気が間延びしたかのようにゆったりと流れていきます。空港では体温検査がありました。省外に出て戻るときにはチェックされるそうです。鳥インフルエンザの影響でしょうか。待合室へ行くと二人の男性が公安に連行されていました。密輸でしょうか・・・。

 お世話になったT大姐夫妻は昆明で飛行機を降りました。私達は昆明を飛び立ち上海へ。上空から見た昆明の街は、郊外に数多くのビニールハウスが並んでいました。数日後、上海にもダイ族料理のレストランがあったので行ってみました。シーサンパンナと同じようにショーがあり、最後には客も参加して外に出てかがり火を囲んで踊ります。なんと花の料理もありました。紫蘇の花のような形状をしています。さすが上海です。本場で食べられなかった物が食べられました。\(〜o〜)/

  


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