岳陽――洞庭湖畔の古鎮(2)

 白銀の盆に浮かぶ一片の青貝

 洞庭湖は揚子江の調整湖として知られる。揚子江の水位が上がると余分な水が順番にふたつの湖に流れ込み、渇水すると逆に湖から逆流して揚子江の水位を調節する。自然が作った見事な調整システムといって差し支えない。
 岳陽楼埠頭からは南京、武昌、重慶への定期船が就航している。すぐそこのように感じられる南京への航路でさえ揚子江を下って48時間もかかるらしい。この大地は、ちょっとスケールがちがうのだ。乗客が右往左往する快速艇に乗って君山にむかう。君山とよばれているので山そのものと勘違いしてしまいそうだが、じつは洞庭湖に浮かぶ扁平な島嶼にすぎない。島嶼だから陸地と隔絶された島かと思えば、車で行けるという現地人もいる。もちろん、島だと言い張る人もいる。おそらくどちらも正しいのだろう。つまり、揚子江の水加減によって島になったり、陸になったりするにちがいない。旅人に旅情を感じさせれば、島でも陸でもどちらでもよい。快速艇の甲板から見る岳陽楼が、朝靄にかすんで幻想的ですらあった。
 君山を中国全土に、大袈裟に云えば世界に知らしめたのは、ここに産する銘茶君山銀針であろうか。『巴陵県誌』によれば、ここで銀針が本格的に栽培されるようになったのは清の乾隆46(1781)年からであるらしい。その銘茶は190年後、この国が国連の議席を回復した1972年、中国政府が国連本部で開いたレセプションで各国代表にふるまわれた。
 高速艇が接岸した埠頭から小山を登っていくと、頂上あたりで朗吟亭という名前の古建築に出くわす。唐末の酒飲み道士呂洞賓が酔っ払って放吟し、寝込んでしまったからこの名前がついたのだという。朗吟亭をすぎると下りになり、ほどなく眼前に人造池が展開する。太鼓橋が架かり、古船が浮かぶ書割のような中国の伝統風景だ。池の端には竜涎井という井戸がある。君山の五大名水が湧くのだという。銘茶を産するから、名水も噴するのだろう。井戸の後ろの斜面には緑深い茶畑が広がっていて心地よい。
 人造池には無数の鯉が放たれ、餌を投げ入れると音をたてて群がる。竜涎井の西側には忠義堂とよばれる役所風の建物があり、庭を囲むように執務室や刑房などがあるので、かつては君山の衙門(地方政府)であったのかもしれない。
 晩唐の詩人劉禹錫は、君山の高みから洞庭湖を俯瞰した七言絶句『望洞庭』を残している。
  
  湖光秋月両相和 潭面無風鏡未磨
  遥望洞庭山水翠 白銀盆裏一青螺

 劉禹錫の讃える白銀の盆とは洞庭湖の美しい湖面で、一片の青螺(青貝)が君山を指していることは説明するまでもない。


洞庭南路の慈氏塔

 この町の中心は、站前路から南湖大道を南下して巴陵中路と交差するあたりにある。武漢など他の内陸都市と同じように、誇りっぽく雑踏している。安普請のビルが連鎖して、見るべきものは少ない。巴陵中路をまっすぐ西行して洞庭湖方面に進むと広場風の歩行者天国に行き当たった。商業歩行街である。各所に配置された拡声器から、客を誘引する金属質の音声が無秩序に放たれてうるさい。広場の真ん中辺で鼓笛隊が行進しながら笛や太鼓を打ち鳴らし、色とりどりの大旗がゆれている。市政府がピオネールのような小中学生を動員して、クリーン都市岳陽を創造する万人署名活動、を催しているのだ。久しぶりに見る社会主義的な光景に懐かしさを覚える。

 商業歩行街を後にして、この町の台所梅渓橋東大市場にむかう。乾物や鮮魚、日用雑貨など大量の物資が五つ六つのアーケードに分けて商われている。湖南の激辛料理を作る唐辛子や山椒などの食材が圧倒的な迫力で迫ってくる。午後の時間帯に訪れたので買物客の姿は少なく、閑散とした通路でリヤカー引きの男が子供をあやしていた。


             


 これからいよいよ洞庭路を南から北に縦走しようとしている。岳陽散策の最後の楽しみに残しておいたのだ。街路の起点、洞庭南路から数十歩入った湖辺の居民街には、苔むし、ぺんぺん草の生えた慈氏塔が千数百年の風雪に耐えて四周を守っている。唐の開元年間に妙吉祥という仏教徒が岳陽を訪れ、西から洞庭湖に白竜が暴れこむだろう、と予言した。数日を置かずして風が吹き、波がたち、百姓たちの生活を脅かした。建塔して悪竜の怨念を鎮めなければならない。

 
そこへ慈氏と名乗る寡婦があらわれ、喜捨して寺廟を建立し、7層39メートルの塔を建てた。『岳陽風土記』は、(塔は)日の出に洞庭湖の水面にその影を落とし白竜を鎮めた、と記している。建立費用を喜捨した寡婦を記念し、塔は慈氏塔、あるいは慈氏寺塔と称され、今日まで崩れもせずに残っている。古塔は1956年、湖南省の重点文物に指定され、近く改修工事が施されるそうだ。



 洞庭路を徒歩で20分も北上すると、巴陵西路を横切って岳陽楼公園にもどってくる。沿道では清代の建築物が現在も庶民の家屋や店舗として使われている。すでに触れたことだが、やはりこの界隈が岳陽の町のいにしえから伝わる品格を守っているようだ。陽は西に傾きはじめている。右に曲がれば宿舎のホテル、左に進めば公園は眼と鼻の先だ。ちょっと逡巡して、岳陽楼を再訪することにした。



 再び岳陽楼に登る

 登楼すると、西日が湖面を走って水平に差し込んできた。楼を支える朱色の柱が色彩に照りを加える。撥ねあがった屋根が藍天に滲みる。洞庭湖に落ちる夕陽が鏡のような湖面に反射して黄金色に輝く。岳陽楼の入り口に安置された香炉が一日の最後の光をあび、観音開きの扉にまでとどきそうな長い影をひいて息を呑むような美しい光景をつくりだしている。

 



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